井の頭線の駅の一つである駒場東大前駅をご紹介します。駒場東大駅前は名前からも分かるとおり、東京大学駒場キャンパスに隣接しています。路線をはさんで北側一帯は東大の敷地となっています。東大のほかにも教育機関が集まっており、学生が歩く姿がよく見られます。また住宅地でもあるために非常に静かな場所なのですが、コンビニや書店が少なく学生は少々不便さも感じる面もあるかもしれません。駒場東大前の駅前から神泉駅方面には昔ながらの商店街があり、小規模な商店が連なっています。また駒場東大前駅は京王電鉄の駅で唯一目黒区に設けられている駅でもあります。
今から約20年前に起こった東京大学教養学部における中沢新一氏をめぐる人事騒動の顛末と、それに伴う著者の東大批判のキャンペイン文章を収録したものが大半を占めているが、今となって重要なのは最後に載った著者の学問論である。多分今もその基本スタンスは変わっていないだろう。
言葉をめぐる難しい学問論は置いといて、教育の3つのカテゴリー(体育、知育、徳育)についての話は合点がいく。一番重要なのは徳育で、著者の言う徳育とは、人間がよく生きるための基準をどう習得し体得していくかということである。徳育とは直接教えられないもので、授業の仕方、言葉の吐き方、論文の書き方、論文の行間ににじみ出るもの、ほのめかされるもの、それが徳育というしかないと。徳育とは間接的ではあるが、全人的なコミュニケーションのなかで行なわれるもので、知育をきちんとやる最大の意義も、それを通じて徳育という副産物を得ることが出来る点にあると著者はいう。まさにその通りと膝をたたいた。
本書p149には由良君美についての辛辣な言及があるが、由良の弟子・四方田犬彦の『人間を守る読書』に島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』の短い紹介文があり、そこに「中沢新一がチベットに行かず『チベットのモーツァルト』を書いたのは有名ですが」(p300)とあって、知らなかった私は驚いた(もっとも、『チベモ』は拾い読みしただけだが)。因みに中沢(50年生)・四方田・島田(53年生)は共に東大宗教学科出身。このあたりの人間関係も複雑そう。
本書で好意的に描かれているのが蓮實重彦で、中沢に専門分野がないと批判する反対派に「それはテクストクリティークというか、この世の人間の書いたものをきちっと解釈し続けるセンスだ」と応酬したと、西部は報告している(p130)。
面白いのは、この事件後に東大教養学部の改革が急速に進むのだが、それは教養学部の蓮實化とも言えるものだったこと。中沢採用否決が88年3月だが、何と蓮實の教授昇格も同年。翌89年4月に表象文化論専攻が新設されているが、上の蓮實の言葉を考え合わせると興味深い。93年には蓮實は学部長に就任(昔で言えば一高校長?)し、その下で学部改革はさらに加速。95年に副学長。そして97年、総長就任。98年、国立大学協会会長と、止まるところを知らない。
教養学部が招聘する外部講師の顔ぶれや、東浩紀や松浦寿輝といった人材をメディアに送り出す手際、『知の技法』その他の出版物展開を見ていると、蓮實的な「売り込み」と「対抗改革」の手法を感じるし、全国の大学は学科構成やネーミング含めて、東大教養学部に追随したと思える。そう見ると、中沢事件が日本の「知」の布置に与えた影響というものは、やはり大きかったと言うべきなのだろう。
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